決起直前になって内通離反者が出てしまい、計画は奉行所に察知されてしまった。跡部を爆死させる計画は頓挫し、完全な準備の整わぬままに2月19日(3月25日)の朝、自らの屋敷に火をかけ決起した。
天満橋(現大阪市北区)の大塩邸を発った大塩一党は、難波橋を渡り、北船場で鴻池屋などの豪商を襲い、近郷の農民と引っ張り込まれた大坂町民とで総勢300人ほどの勢力となった。彼らは「救民」の旗を掲げて船場の豪商家に大砲や火矢を放ったが、いたずらに火災(大塩焼け)が大きくなるばかりで、奉行所の兵に半日で鎮圧されてしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/大塩平八郎の乱
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